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accentor

2015年11月23日

岩古谷山

愛知県設楽町にある岩古谷山 標高799mとずいぶんささやかな山だと
思われるが、どっこいこの山はかつて今から約1600万年前の設楽火山で
できた山。山は溶岩が冷え固まった安山岩で出来ていて尾根は結構迫力ある。山頂からの展望もすばらしい。はるか昔人類がまだ猿ですらなかった時(ということは、俺達のご先祖はそのじぶんいったいなんだったろう)まだ日本が今の形じゃなかった時海から突然あらわれたこの風景(今は草木におおわれてはいるが)、地形はさほどかわらないとしたら、おいらははるか1600万年前の溶岩のもりあがった山にたって周りをみわたしたのだ。ちなみに写真の奥の方角には、中央構造線という断層が走っている。これは白亜紀(恐竜時代)にできたんだと。地球のダイナミックな自分の生きてきた時間よりかはるかにはるかにダイナミックな宇宙スケールの時間のつくった 工作物においらはふれたような気がした。写真の山は同じく噴火でできた山三瀬明神山1016m

  

Posted by accentor at 21:38Comments(0)TrackBack(0)

2015年10月05日

竜だろうかそれとも猪か?

ある里山の山頂付近でみつけた木のオブジェ。だれかがしつらえたものだが、これはなにを表現したかったのか。私には竜にもみえるし、猪のようにも思われる。どちらかと言えば、竜であるか。
人は主観的にというか。あらかじめ当人の脳に記録されている形状に照らし合わせて対象物を認識するという。ということは脳に記録されていないものは見えない、認知されないということだ。つまり、竜という架空の生物の絵を見たことのないひとにとっては竜は存在しない。あたりまえのことだが、人はあらかじめ知っていることしか知りえない。知らないことに出会ったとき、人はしっていることを総動員して既知のものにもっとも近いものをそのものに重ね合わせる。そうして知ったということにするのである。人は主観的なのだ。でもなるたけ、他者の見方も知ろうとしたいよね。
ここである哲学者の言葉をひとつ、
「語りえぬものについては沈黙せねばならない。」ウィトゲンシュタイン
  

Posted by accentor at 20:54Comments(0)TrackBack(0)

2015年09月09日

サッカーというスポーツ

日本サッカーの父クラマーさんの残した言葉である。(サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする。)
少年を大人にするのくだりはまあ、わかるが、大人を紳士にするとはどういう意味だろう。
ここで『紳士」という言葉の意味を考えたほうがよさそうだ。ドイツ語圏で紳士といった場合(英語圏でもたぶんさほど違いはないだろうから)紳士=gentleman
gentle(優しい、礼儀正しい、温和な)man(男)ということである。
ふーん、なんとなくいいたかったことが感じられる。いわく、少年は熱狂のなかに秩序を学び、大人は秩序のなかの熱狂を静かに楽しむのである。ところで、物理学のなかにエントロピーという定量的な概念がある。この宇宙においてはエントロピー(無秩序の尺度)は、閉じた系のなかでは絶えず増大するのみであるそうな。
しかし、生命はひたすら秩序を求める。分子がめざすのはひたすら秩序であるが、それもかなわず、いつかは無秩序=死となってばらばらになるのであるが。
再び、サッカーの話である。熱狂=混沌とした内容物は実はルール=秩序=形式あってのものだったのだ。 形式と内容は一体のものだった。
  

Posted by accentor at 19:54Comments(0)TrackBack(0)

2015年08月30日

サギ草

とある湿地で終わりに近いサギ草の花を見つけた。
ほんとにシラサギが羽をひろげたようであり、感心した。ところで生物のデザインはつまるところDNAによるものであることは現代科学のおしえるところであるが、その妙味にはただただ感心するだけである。環境への適応が
生命の生き残りの戦略であることは間違いないだろうが、うまく適応したものが美しいフォルムを得たという事実もまた間違いないだろう。

  

Posted by accentor at 12:32Comments(0)TrackBack(0)